2015/10/16

感動の認知症医療

認知症医療は感動に満ち溢れている

「認知症医療は論より証拠」(現代書林発行)を読み終えたとき、少なからず感動をおぼえました。それは、介護力で何とかやっていますといった美談ではなく、治療によって得られた効果をこの本に登場する医師自らが語っていることにあります。

認知症が痴呆症と称され、治療対象として医学の土俵にさえもなかった頃に大学医学部を卒業したコウノメソッド実践医の方々の「物語」はノンフィクションとして読み進める程に感動的でした。

初めての認知症治療なのですから、「初心者」です。医学教育は当然のことながら、様々な臨床経験があっても、認知症との対峙という意味では誰も皆初心者なのです。
ということは、「コウノメソッドで認知症を学べば医師ではなくても認知症を理解できる」ということを如実に示唆しているのです。

認知症に関する限り、医師と医師ではない者の唯一の違いは、薬剤の処方をする権限を有するか否かということになります(勿論、医学知識を総動員して全身状態を診るということは素人には無理です)

「認知症は治らない」というこれまでの常識やあきらめを捨て、「認知症を治せない医者」が大多数である現在の状況を変えていくことこそが、我が国が長寿大国として示す役割なのだと改めて思いました。

まだまだ、認知症医療は憤りに満ち溢れている

ある意味、コウノメソッド実践医の方々に夢物語のような活躍を語っていただいたのですが、おそらく殆どの施設ではコウノメソッドの恩恵とは程遠いのが実情でしょう。
このブログをご覧になった方からメールをいただいたのですが、抗認知症薬のひとつであるアリセプトを製薬会社の規定通りに最大まで増量して、介護現場は陽性症状を憎悪させた施設入所者のお世話でとても困っているとのことでした。

本来ならば、施設嘱託医と共に協力して平穏に暮らせるようにすべきはずなのに、施設嘱託医が現場を混乱させているのです。高齢者虐待はしばしばニュースとなりますが、こういう事例は施設職員虐待でありながらニュースにはなりません。

逆に、向精神薬を最少必要限、安全領域内で使うこともなく、認知症の陽性症状を野放しにしている場合もあります。これもまた、施設職員虐待です。私が勤務する職場はそのひとつです。

話しは少しばかり脱線しますが、虐待と言えば厚労省の調査によると、虐待の発生要因は次のように報告されています(市町村の任意・自由記載を集計)

 「教育・知識・介護技術等に関する問題」128 件(66.3%)
 「職員のストレスや感情コントロールの問題」51 件(26.4%)
 「虐待を助長する組織風土や職員間の関係性の悪さ」25 件(13.0%)

「教育・知識・介護技術等に関する問題」は、施設職員に対することを指しているのですが、これはそのまま医師にも当てはまるのです。
 「教育・知識・介護技術等に関する問題」→「認知症教育・知識・治療技術等に関する問題

コウノメソッドでは、「介護者保護主義」として、患者と介護者の一方しか救えないときは介護者を救うこととしていますが、こういう切実な問題(施設職員虐待)にも言及しているのです。「どちらか一方しか救えないとき」というのは究極の選択なのですが、実際には患者も介護者も両方とも救っていることが多いようです。


第二人称としての語り(ナラティブ)
認知症患者を第一人称、その介護者・治療者を第二人称、その他を第三人称とすると、この本に登場するのは第二人称で認知症を語る人たちです。第二人称での語り(ナラティブ)には説得力があり、混沌とした認知症を取り巻く現実にしっかりと光を照らすエネルギーに満ちています。その理由のひとつには認知症患者にしっかりと関わり合っているからです。

一方、第三人称とは? 治療に積極的ではないか、治療方法を知らない医師です。
巷に溢れる情報も本も、その殆どは第三人称によるものと言っても過言ではないでしょう。
第三人称は認知症にまつわる実態とはかけ離れた情報に終始しており、現実との乖離を感じます。何故そのようになってしまうのか。答えは、「認知症は治せる」という認識をもって認知症に関わり合っているか否かの違いにあるのです。

さて、この「認知症医療は論より証拠」、対象とする読者層はどこか。これから認知症医療に参入しようとする開業医の先生方、既に認知症を診ているものの満足な治療成果に繋ぐことのできない先生方に是非読んでいただきたい。

2015年10月、「認知症医療は論より証拠」(現代書林)「コウノメソッド流 臨床認知症学」(日本医事新報社)の2冊が出版されました。
一見して購入者層の異なるであろうこの2冊が一緒に購入されているという(アマゾン)。金額ベースで考えると、一緒に購入しているのはたぶん医師でしょう。

どれくらい発行され(購入され)たらいいのであろうか? 最低でも1万部。この数は、全国にある中学校設置数と大体同じ数です。せめて中学校区内にひとつ。日本全国のどこでも、まともな認知症医療が受けられるために必要な最低限の医療機関の数なのです。実際にはこの数倍の数が必要です。治療の腕前とは関係なく、「認知症外来」と恥ずかし気もなく大きな看板をクリニックの駐車場に2つも掲げているような開業医も在ります。認知症診療で地域に喜ばれる実績を上げられない医療機関は淘汰されるべきであり、それが市場の経済原則です。