2015/10/16

2015年 ディメンティア・ターニングポイント

2015年 ディメンティア・ターニングポイント

2015年のはじめ、「今年は認知症医療のエポックメイキングの年となる」と、某関係筋の間では言われておりました。確かにその通りだろうと思います。

  ヂィメンティア・ターニングポイントの構成要素
   ・「認知症治療研究会」が開催されたこと
   ・「抗認知症薬の適量処方を実現する会」が設立されたこと
   ・「臨床認知症学」が成書として出版されたこと

抗認知症薬(アリセプト)が登場したのが1999年のこと。仮にこの年を「認知症治療元年」として、それ以降の大きな出来事と言えば2011年に新たな抗認知症薬(レミニール、メマリー、リバスタッチ/イクセロンパッチ)が登場したことくらいです。

およそ16年のうちの1年足らずの期間に上記のことがあったのですから、それはも「エポックメイキングの年」であり「ヂィメンティア・ターニングポイント」と言ってもいいでしょう。

「ヂィメンティア・ターニングポイント(dementia turning point)   「認知症は治せる!」という認識をどれだけ多くの人が持ち、実現のために新しい方向への潮流となり、世の中の趨勢となるのか、その重要な分岐点が「ディメンティア・ターニングポイント」なのです。
それはまた、ディメンティア・スパイラル(dementia spiral)」からの脱却のきっかけでもあります。ディメンティア・スパイラルというのは、認知症に関わる家庭、施設、医療機関、そして国もネガティブな循環に陥ってしまい混沌とした泥沼の中にある状態のことです。先行きなどまったく見通すことはできない現在のことです。





新たな一石は投じられた

20年ほど前にマンチェスターグループが前頭側頭葉変性症(FTLD)の分類の一部(失語症候群)を病理組織と切り離して臨床症状だけで患者を分類することに決めたという激震もあり,このことが認知症という学問に一石を投じたことは確かです。

というように、数10年のちに現在を振り返ってみたときに、「認知症という学問に一石を投じた2015年」と評価されればよいのです。その象徴的できごとのひとつが、日本医事新報社から出版された「コウノメソッド流 臨床認知症学」なのです。
【注記】このページで青色文字で記されている文章は、同書のまえがきからの転記引用です。



遂に登場! 新しい「臨床認知症学」 ・・・ 「コウノメソッド流

今日まで各科が中途半端につくりかけている認知症学はいったん置いておき,介護者のための処方,治療のための診断という発想で組み立て直す必要があったのです。
「臨床認知症学」、あるいは「認知症治療学」という新たな学問を構築しようとする際には、古い伝統や長い歴史を礎に構築された既存の学問から更に新しい学問を創造するという手法は適用できないのかもしれません。それがまた認知症の厄介な性質であり、より一層の興味を誘う「奥深さ」でもあります。

現在のところ、認知症を治せる最有力かつ現実的な手法(メソッド)はコウノメソッドであるのですから、単純かつ明解に「臨床認知症学」として良いのではと思ったのです。では何故、本のタイトルに「コウノメソッド流」と表記されたのか・・・?

第1の理由:出版社の営業的思惑
第2の理由:既存の学会に対する深淵なる配慮と遠慮
第3の理由:シリーズ第5弾への布石

第1の理由
出版に際しては、3つの‘Tが重要なのだそうです。3つの'T'とは、タイトル(title)、テーマ(therm)とタイミング(timing)のことです。認知症患者が激増する一方で、混沌とした認知症医療を時代背景に、3つのT’がうまく揃った出版物です。



第2の理由
およそ学問というのは、崇高であり、高尚であり、難解であり、それらに彩られて権威がなければならないところがあるようです。だから、その学問を一般大衆化しようとした時に、「ポピュラリズムに迎合しただけ」として権威者達から批判され、価値のないこととレッテルを貼られたりもするものです。

そういう事例はいくつもあり、地球物理学の竹内均博士(元東京大学名誉教授)、天文学のカール・セイガン博士(元コーネル大学教授)、挙げればキリがないほどの先人たちがいます。

認知症を大きな括りで「認知症学」と称したら、まだまだ未完成であり混沌とした黎明期にあります。そういう時代背景の中、「臨床認知症学」として世に成書を発行するのですから、権威者達からの「的はずれな批評」を受けることもあるでしょう。

だから、「臨床認知症学」の前に「コウノメソッド流」と奥ゆかしく、少しばかり控えめの書籍名称にしたのでしょう。これは、認知症医療を取り巻く諸々の勢力や許し難い事情に対する辛辣な皮肉です。

第3の理由
まだまだ、標準はおろか、「事実上の標準(デファクトスタンダード)」にさえもなっていないのが、コウノメソッドの現状なのです。巻末に記載されたコウノメソッド実践医の方々は勿論のこと、実践医として公に名乗ってはいなくてもコウノメソッドに準拠した治療をしている医師の方々の実証データ蓄積に期待します。 
 「こんなメッセージが書かれた医学書は読んだことがない」「本の内容を忘れることができない」「アンダーラインで真っ赤になってしまった」「人生観が変わってしまった」「後輩の医師にも勧めたくなった」といった強い印象が,読後に残ってほしいと願っています。
極めて分かり易い例え話。 医学部受験のため繰り返し読んで解いて、重要箇所にアンダーラインを引いた分厚い本「大学入試問題正解」を持ち、確たる目標を持っていた頃のように、「臨床認知症学」をしっかりと学んでいただきたいものです。但し、入試問題と大きく異なるのは、唯一の正解というのが認知症治療には存在するとは限らないということです。コウノメソッドでも正解(期待する効果)が得られるのは75%くらいだとされています。それを少しでもアップさせるのは、実践医の熱意に依存するのだろうと思います。ついでながら、偏差値は関係なく、患者の家族介護者や施設介護者への配慮は大きく関係します。

シリーズの第5弾は「標準 臨床認知症学」ですね。これは、「コウノメソッド」とタイトルに改めて冠するまでもなく、コウノメソッドに準拠した治療を日本全国どこでも受けられることを意味します。だから、「標準」でよい訳です。さて、その時、「標準 臨床認知症学」の礎となるのがこの「コウノメソッド流 臨床認知症学」であり、監修は河野和彦医師、執筆・編集は認知症治療学会(現在は研究会)の認知症を治せる実践医の方々、そういう更なる展開に期待したいです。




認知症診療はアナログ感覚でいこう!
認知症のごく初期における中核薬常用量は多すぎであり,副作用の可能性が高まります。薬物の脳内濃度は血中濃度と相関するとは限らず,半減期から副作用の持続時間が推定できるものでもなく,また患者の個人差(年齢,人種,性差,感受性)もあまりにも大きいようです。ここには従来の薬理学が太刀打ちできないものがあります。また神経内科学,精神科学で言われる「効くまで増やせ」の法則もマッチしません。このように考えると,各薬剤の用法用量が,いかに思慮に欠けたものであるかがわかります。患者の身体と対話して,処方量を自身の裁量で加減するのが臨床医であり,漢方医学は数千年前からそれを実行してきました。私たちはこのさじ加減の技術に大いに学ぶべきです。高齢者への投薬にマニュアルなどなく,患者個々で加減することが求められます。




認知症介護はハイブリッド感覚でいこう!



「認知症」が「痴呆症」と呼ばれ、呆けるより先に天寿をまっとうする人が大多数であった時代ならいざ知らず、認知症の高齢者増加が必至である現在、総合的システムで取り組まなければ「認知症爆発の時代」を乗り越えることはできません。


今から7年くらい前に、「認知症を制する者、介護を制する」と漠然とした妄想のようなことを考えていたものでした。それ以来、ずっと認知症患者を見てきたのですが、その考えは的はずれではないと実感するようになりました。陽性症状の酷い認知症患者がひとり居るだけでも介護現場は余計な負担を強いられることになります。そのことが回り回って、結局は他の要介護者への介護サービス低下につながるのです。

脳血管障害や従来からある傷病、老化に伴う身体機能を介護者としてお世話するのは当然のことで、そのこと自体は昔も今も変わりないことです。褥創や感染防止に注意を払うことと同様に、認知症への関心を深めて組織的に取り組むことが必要なのです。