2014/10/27

異端の研究者 小出先生

異端の研究者
最近は小出先生(京都大学 原子炉実験所)の講演会でのお話しばかりを聴いている。べつに認知症から原子力に興味が変わったわけではない。私は元々物理屋・工学屋であるし、小出先生のお話しを聴けば聴くほど共感するのである。原子核工学の研究者でありながら原発建設を反対し続けているのであるから、原子力発電を推進するアカデミズムを多数派(正統派)とすれば、小出先生は少数派であり異端の研究者である。


学会では周辺化されるから主流派には絶対になれないだけではなく、大学では教員として出世は望めない。だから、小出先生の肩書きは約40年間ずっと助教である。助教というのは、昔で言う「助手」である。上司である教授に嫌われないように、コツコツと研究を重ね、論文を書いていたら准教授、教授へと出世していくのが一般的なコースである。

出世欲や名誉欲を満たすことを望むのであれば、原子力発電に賛成して研究をすればよい。そうすれば、京都大学は国立であるから国からの研究費は潤沢とは言わないまでも現在よりも増額されるだろうし、企業からの寄付金を得やすいのだが、そういうことには執着せずに自分が正しいと思うことを地道に続けておられる、御用学者ではない「異端の学者」なのである。小出先生は、自分の思いに真っ直ぐに忠実に生きているという。

原子力発電が黎明期の頃から、「原子力発電は危険だからやめよう」 そう訴え続けてきた中、2011年3月11日 危惧し続けてきたあの事故が現実のものとなってしまった。
「原子力はクリーンで安全であり、絶対に事故などありえない」という主張は3.11で崩れたのだが、ひとつの発電所がもたらした事故の深刻さというのは計り知れない。

そろそろ、このブログのメインテーマである認知症に話しを移そう。
小出先生のお話しを聴くと、どうしても認知症医療の根深い問題と、原子力ムラの問題が同じ事象のように思えてくるのである。原子力ムラとは下記のことである。(コトバンクより一部転記)
原子力発電を巡る利権によって結ばれた、産・官・学の特定の関係者によって構成された特殊な社会的集団及びその関係性を揶揄(やゆ)または批判を込めて呼ぶ用語。2011年の福島第一原子力発電所事故により原子力を巡る産・官・学の癒着や閉鎖性がマスコミなどによってクローズアップされた。国際原子力委員会(IAEA)からも日本の原発規制当局には十分な独立性がないと指摘された。年間数兆円とも言われる原発の利権に特定の企業・機関・個人などが群がって、独善的でレトリカルな言論で懐疑的な意見や批判的な意見を封殺するという、狷介(けんかい)で偏狭なムラ(村)社会のごとき様相を端的に表現する言葉として「原子力ムラ」の用語が急速に巷間(こうかん)に広まった。
私は学者ではないが、異端のひとりである。「認知症は治せる」と信じている異端であるが、権力も権威も社会的地位もないから別にどうということもない。ただ切実なこととして、私が現在お世話している高齢者の大半は認知症であり、手のかかる人も多数いる。
そういう方々をお世話するのが私達の仕事なのであるが、どう考えても診断が間違っているとか薬の処方が不適切であるという事例が後を絶たないということを問題視しているのである。

コウノメソッド実践医の先生方は異端なのだろうか? どうみても極めて正当なこととして患者に適切な治療をして下さっているだけにしか思えないのだが・・・


医者じゃない、社会的地位も収入も低い介護職のアンタが、そこまで認知症のことを勉強する必要はない。医者の診断や薬のことに口出しする資格はない! そういう非難の声は身近なところからも聞こえてくるのであるが、小出先生のように自分が正しいと思うことを地道に続けていきたい。