2014/07/26

現場で観るピック病

現場で観るピック病[2]

私の認知症に関する最大の関心事は、認知症の約60%がアルツハイマー型認知症(ATD)とされているからと言って、このATDではない。 前頭側頭型認知症(FTD)であり、前頭側頭葉変性症(FTLD)である。 そのひとつの理由に、症状があまりに多彩であり、介護者にかける負担があまりにも大きいからである。
 
認知症の周辺症状はその人の性格に修飾されることもあるし、周囲の状況に左右されることもあるが、それだけの理解では不十分である。 
また、「トイレに行きたくて不穏になった」とか、「寂しいから不穏になった」という理由付けでは到底説明できないのである。 勿論、こういう不穏の理由を否定しないが、それだけではストレスが募るだけである。 
介護の世界では、上述のようなレベルでしか認知症を理解していない。 極めてお粗末と言わざるを得ないのである。

前頭側頭葉の機能のどこに(複合的に)障害があるのかということを知って納得しておいた方がよいのかも知れない。 そこで、今回は前回に引き続き、更にFTLDについて見ていきたい。 以下はドクターコウノの認知症ブログからの転記である。 (膨大な情報からファイルに適宜保存して勉強材料にさせて頂いているが、URLが分からないのでここには記載していない。)


FTLDは全員が前頭葉に障害を持つが、更に一歩踏み込んでみてみる。
①前頭葉そのものの障害として病識欠如、自発性低下になる。 前頭葉は人間らしさ(活力、豊かさ)を司るからである。 前頭葉でも穹窿面(きゅうりゅうめん)、外側の機能に障害がある場合である。 


②後方連合野の前頭葉による制御がはずれると、短絡的、反射的、無反省となり、ひいては模倣行為(医師のしぐさを真似する)、反響言語(オウム返し)、強迫的音読(急にポスターの文字を大声で読む)、使用行動となる。

③辺縁系の前頭葉による制御がはずれると、脱抑制、わが道を行く行動(田邉)、盗癖、考え無精、鼻歌、立ち去り行動を起こす。
この行動こそが、典型的なピック病と感じるタイプである。

④大脳基底核の前頭葉による制御がはずれると、常同、滞続、強迫、反復の行動や言語となる。 これも「ザ・ピック病」と言える症状で、アルツハイマー型認知症ではこのようにはならない。 ③と④は、前頭葉眼窩面(下の方)が責任病巣と言われる。

以上のように、前頭葉、側頭葉など、どの部位に障害があるのかということを知っておくことで、一見すると奇妙に見える症状も、系統的に整理がつく。 私はCTの画像を観ることはできないから、症状を観て、「ははぁ~、この人はおそらく前頭葉眼窩面の萎縮が強いねぇ~」などと理解している。 なお、CT画像に関しては、鹿児島認知症ブログに分かり易い掲載があるので、そちらをご覧頂きたい。


介護現場では、「お風呂に入って、気分をさっぱりしましょう」などという声掛けは必要なことであるが、こういう声掛けをしても聞き入れない人は絶対に聞き入れないのである。 仮に、脱衣室や浴室にうまく連れて行っても、大声を出して暴れる人は暴れるのである。
怪我のリスクが増大するような状況下でストレスを溜め込みながらお世話するよりも、ウィンタミンを服用して落ち着いた状態で入浴してもらう方が現実的で賢明な選択肢なのである。 実は、私は入浴介助を頑なに拒み大暴れする利用者と格闘となり、ガラスサッシのドアに投げ飛ばされあわや大怪我をするところだった苦い経験がある。 馴染みの関係にあっても、こういう事態になるものである。

ある程度規模の大きな施設で入浴介助を担当するのはパートのおばちゃんである。 不思議なことに、大方の人は気立てが良くて、利用者に対して本当に良くしてくれるのである。 こういう方々に不必要で理不尽な負担を強いてはいけないのである。

不運なことに入浴中に怪我をして事故報告書に、「注意不足でした」と自虐的・文学的なことを書き連ね介護現場の責任として自己完結するか、医療と連携してウィンタミンの処方で気持ち良く入浴を済ませるか、どちらが良いのかは言うまでもない。


介護施設に入れたくない理由

私は自分の親を絶対に介護施設には入れたくないと思っている。 介護施設に勤務しているから思うことであろうか? 日常業務の過酷さに加えて、問題点も見え、うんざりすることも多々あるので、介護施設での現状と問題点を指摘しておきたい。 
以下に述べることは、「介護施設は医療機関ではない」と反論されるかもしれないが、もしそうであるとしたら、「介護現場からこういう指摘が出ないように、なすべきことをちゃんとやってますか?」と逆に問いたい。 (実際、「ここは、医療機関ではない!」と叱られたこともある。)

(1)施設に入れると医療受診機会を逸する
DLBはLPCに遷移することがある。 だからそれに気付いたら、施設嘱託医に伝えて処方を変更する必要がある。 一般には、「ボケが進んだ」、「年だから仕方ない」という程度にしか捉えられないのである。 
強度の摺り足歩行と軽度のボケ。 但し、尿失禁は極めて希という利用者が居る。 その人と話しをしていて、少なくともATDではないことくらいすぐに分かる。 にも関わらず、近隣の市民病院の内科からアリセプトが処方されている。 私なら、正常圧水頭症疑い有りとして、脳神経外科に連れて行く。 しかし、施設というおかしな「掟」で、それができないのである。
こういう例はいくつもあるが、切迫した生命にかかわる病気か、看護師に理解できる病気以外は放置されている。 だから、私は施設に入れたくないのである。

(2)寝かせきりになることがある(「寝たきり」ではない)
認知症で手のかかる利用者は寝たきりにせざるを得ないのである。 施設という集団生活の場に適応できない利用者は、残念ながら寝たきり/寝かせきりにならざるを得ないのである。 

(3)面会の頻度が多い程、良くしてもらえる
家族が頻繁に面会に来てくれる利用者と、そうではない利用者。 やはり、前者をより大切にする。 成年後見人制度を利用している身寄りのない利用者は別として、自分の親を粗末にするような家族のために奉仕するほど余裕はない。 正直なところ、そういうものである。 

(4)介護の手のかからない人ほど割に合わないことを強いられる
手のかからない人というのは、自立度が高くて転倒などのリスクの低い人である。 こういう利用者は思慮分別もしっかりしており、社会適合能力もあるから、「待つ」、「譲る」、「遠慮する」ことができる。 
だから、認知症のため手のかかる人が側に居れば、そちらに介助の時間が向けられるため、その間待たされるのである。 時には、不当に待たされてしまうこともあるのだ。 気の毒であるが、仕方ない。

だから、できるだけ在宅で最期まで暮らし続けて欲しいのである。 ここまで書き連ねてみると、「患者を守るか、家族を守るか」という二者択一の状況にある時、「家族を守る」というコウノメソッドの意味が良く解るのである。 できるだけ家族で、認知症の人を最期まで看て欲しい。
認知症に関しては、極めてお粗末極まりないのが実情である。 これはある意味、教育に問題があると思ったので、トップダウンで施設が総力を挙げて有効な教育システムの構築をするようにと提案したのだが、まったくの進展をみないのである。 こういう施設の看護・介護職員に、ゆとりある看護・介護のできる日は来ないだろうし、施設の未来は暗く、利用者が迷惑を被る機会が増えるだろうと思った。 

岩田先生の「認知症になったら真っ先に読む本p.180 に「レベルが低すぎるぞ、施設の嘱託医」という見出しの文がある。 状況こそ違え、「レベルが低すぎるぞ!」ということに変わりない。


しっかりしてね、NHK!

認知症800万人"時代 認知症をくい止めろ ~ここまで来た!世界の最前線~ が放映された(2014年7月20日(日)午後9時00分~9時58分)。  青色表記は、ホームページより転記。
これまで認知症は、ひとたび発症すれば決してくい止めることのできない“宿命の病”とされ、いつできるとも知れぬ画期的新薬の登場に望みがかけられてきた。 しかし今、世界各国の認知症対策の最前線では、全く違うアプローチに注目が集まっている。 認知症とは何の関係も無いと思われていた“糖尿病”や“高血圧”などの既存薬を投与したところ、発症直後の患者の記憶力の低下がくい止められたという医学的な報告が相次いでいる。 更に、症状が進行した患者でも、“脳の残存機能に働きかける介護法”で、症状を改善できることもわかってきた。 最新の脳科学の知見を手がかりにしたこれらの方法を、認知症人口の爆発直前の今、広めることができれば、破綻も回避可能との見方も出始めている。 番組では、日米欧のホットな対策の現場を緊急報告。スタジオではそれをもとに、認知症の進行度合いに応じて、私たち自身、そして日本の医療・介護の現場が、今すぐに出来ることは何かについて、徹底的に議論してゆく。
認知症の進行をくい止める方法が見えてきた! 世界の認知症対策の最前線では、全く新しいアプローチに注目が集まっている。 認知症とは何の関係もない既存薬を投与したところ、記憶力の低下がくい止められた。 はいかい・暴言などの症状が進行しても、ある介護法で症状を改善できることにも注目が集まっている。 日米欧のホットな対策の現場を緊急報告。 日本の医療・介護の現場が、今できることは何か徹底議論する。

あまり期待せずに観たが、予想通りがっかりした。 やはり、認知症=アルツハイマー型認知症であり、結局のところ介護に視点が置かれていた。 

「ユマニチュード」という聞き慣れない言葉が登場したが、これは従前からある「タクティールケア」に似ていると思った。 私はこれらの効果を否定する気にはならない。 実際、本格的に実践してはいないが、言葉かけのテクニックや身体に触れることで一時的に介護拒否を緩和させることができることは経験しているからだ。

しかし、人手不足の介護現場でひとりの利用者に20~30分間も関わるゆとりはないし、もしそれだけの時間関わっていたら、周囲の職員から注意を受けることは間違いない。
結局のところ、この番組もまた認知症医療の核心に触れることなく終わったように思うのは私だけであろうか?  
民放各局にしても同様である。 いつまで経っても、アルツハイマー型認知症とその予防に衆目が集まるように番組構成されているが、介護現場で切実な問題は、ピック病、LPCであり、アリセプトをはじめとする抗認知症薬などの不適切な投与がもたらす問題行動なのである。 

民放はスポンサーである製薬会社とのしがらみで、正面切って取り上げることができないであろうが、既存の学会・製薬会社と診断基準、用法・用量規定の問題などを報じて欲しい。 実は、過去に生じた薬害事件を遙かに凌駕する由々しき問題なのである。 問題点が問題点としてクローズアップされ、厚生労働省が真面目に取り組んで適正化しない限り、認知症という社会問題は解決されないと思う。 ここでは詳しく記さないが、私の近い親戚は、間接的とはいえ抗認知症薬が原因で殺されているのである(DLBにアリセプト)。


しっかりしてね、厚労省!

お役所は大嫌いである。 ハコ物行政は言うまでもなく、大概のことで無駄遣いが多いからだ。 私の住む街にも、赤字で民間に転売したハコ物、利用頻度の少ない塩漬けの埋め立て地も点在する。 さて、認知症医療は・・・

(引用始め)認知症の精神科入院に状態像の基準 ― 厚労省の研究会が作成 (2014年3月12日)
認知症で精神科に入院する高齢者の対応を協議していた有識者の研究会が12日、国への提言を盛り込んだ報告書をまとめた。
入院が必要な認知症の状態像を、基準として示していることがポイント。 基準は症状の重い高齢者を想定し、「家族など介護者の生活が阻害され、非薬物治療では改善がみられず、拒薬や治療拒否があり、認知症を専門とする医師の入院による治療が必要な場合」に設定。 具体的な状態として、
① 妄想や幻覚が目立つ
② 些細なことで怒りだし、暴力などの興奮行動に繋がる
③ 落ち込みや不安、苛立ちが目立つ
 などをあげ、精神科への入院をこうした患者に絞っていくべきだと意見した。
(引用終わり)

上記の症状は、LPC(Lewy-Pick Complex 、レビー小体型認知症にピック症状が合併したもの)か、ピック病であると思われる。 こういう症状は残念ながら、殆どの精神科では治せず、期待する治療成果を得られないと思っておいた方が賢明である。 事実、治せない病院を近隣にみることができる。 
但し、コウノメソッド実践医の元に駆け込めば入院しなくて済む可能性は大きいのである。

現場を知らない厚労省のお役人が相変わらずこんなことに時間と予算をかけているのだから困ったものだ。 非薬物療法で改善を望むこと自体が無理なのである。
マスコミについても大同小異である。 大雑把に言って認知症患者400万人、予備軍400万人の現在である。 社会的問題のひとつとして報じられて然るべきである。 
しかしながら、何かしら核心を突くことなく、いまひとつしっくりと行かない印象を持つのは私だけであろうか? 



今週の一曲

喜びも悲しみも幾歳月は、1957年に松竹が制作・公開した、木下恵介監督の映画作品である。 海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る燈台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマである。 若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットし、後世でも過去の著名なヒット曲としてしばしば紹介されている。
この歌を聴かせて、「喜びも悲しみも幾歳月のシネマを観に行ったことのある人?!」と話しを振ってみると、「観に行ったことがある」と答えてくれる利用者もいる。 「私も観た」と調子を合わせる。 無論、私が生まれる前の映画であるからウソである。 「この映画を観て、灯台守になろうとした人も居るんですよ・・・」などとアドリブで話しを進めるのである。