2014/07/19

現場で観るピック病

現場で観るピック病[1]

アルツハイマー型認知症(ATD)は認知症全体の60%くらいを占めると推計されているからと言って、ATDを深く知ろうとすることよりむしろ他のタイプの認知症を深く知ることの方が現実的で良いのではないだろうか。 
ATDとの対比で見た場合、前頭側頭型認知症(FTD)をしっかりと識別できるようになることで、逆にATDが見えてくるように思う。 ここで、FTDとはピック病のことである。 これは実際、ピック病であるにも関わらず、ATDと診断されている人を実際にお世話しているから実感である。 
以下は実際に遭遇した症例である。 以下の本文中、青色表記の文言は「前頭側頭型認知症介護者・ご家族様へ」(国立病院機構 菊池病院)を参考にした。


常同行動
決まった時間に決まった行動をする
まったく無意味であると傍目に思うが、窓辺から往来するクルマの数を数えている。

同じコースを、毎日2回以上歩きまわる
どうみても徘徊ではなく、本人にしてみればある目的を持った、いわば周回のように同じコース(廊下)を歩く。

同じ内容の話しや言葉をくり返す
「ちょっと、ちょっと」と目に付いた職員を呼び止めて、「あっちに行きたい」とか、「私、いつ帰るの?」と同じことを訊く。 ATDの場合と異なり、ある連続する会話の中でではなく、わざわざ呼び止めて同じ内容の話しや言葉をくり返す。 ATDとは異質のくり返しの話し方である。

同じものばかりを食べる・同じメニューをつくる
お膳にある主食のご飯やおかずのお皿を、単品ずつ食べ続ける。 ひと皿を完食してから次の一皿というようにである。 ただ、この行動はVaD(血管性認知症)の場合にも生じることがある。 ATDではあまり見られないが、ピック化したらこういう行動が出始める。

絶えず膝を手で擦り続ける・手でパチパチと叩く(反復行動)
寒いときに足や手先を温めるが如く膝や手を擦る行動をとる。 これは暑さ寒さに関係ない。 
神社でお祈りをする時に柏手(かしわで)を打つが、これに似ている。 パチパチと手を叩くのである。 聞こえてきた音楽のリズムに合わせて手を叩くのとは状況が異なる。 排泄介護で尿取りパットを交換している最中にでも状況を考えることなくパチパチと手を叩く。 叩く回数は、概ね、2~6回程度である。


脱抑制
本能のおもむくままの行動(わが道を行く行動)
介助中にも関わらず、介助に協力する意思がまるでなく、好き勝手に四肢を動かす。 大きな声で叫び続ける。 昼夜問わず、10分おきに「おしっこ、おしっこ」と言ってトイレに行きたがる。 制止すると逆上して屁理屈を言うこともある。 屁理屈ではあるが、ATDとは異なり、理路整然としていることもある。

万引き・痴漢・放尿
施設内だから所謂万引きはないが、隣の人のお膳からお皿を盗ったり、お膳丸ごとを盗ったりする。 衣服や持ち物を盗ることもある。 全員が車椅子に乗り、紙オムツを使用しているので、所構わず放尿する光景は見たことがない。

周囲や他者への配慮や礼儀に欠ける
何か介助してもお礼を言わない。 ATDの人は必要以上に何度も愛想良くお礼を言う。
周囲の人の目を気にすることもなく、突然衣服を脱ぎ始める。

時として、衝動的な暴力行為
スイッチ易怒である。 何も怒るような刺激を与えていなくても、スイッチが入ったかのように突然怒りだし、暴力をふるう。 手加減などなく、おもいっきり介護者の手をつねる、ひっかく、噛みつくといった行動をする。 VaDでもこういう暴力行為がみられることがあるが、これは何らかの刺激に対して生じる。

過ちを指摘されても、悪気なくあっけらかんとしている
床に唾を吐いていて注意されると、あっけらかんとして反省することなくまた唾を吐く。 ATDの人は唾を吐くことはない。 周囲に迷惑をかけるような常同行動に対する指摘でも悪気なくあっけらかんとしている。


被影響性の亢進(影響されやすさ)
相手の動作を真似する
遭遇したことがない。 但し、この性質を利用して、座って欲しいときに、こちらが先に座ってみせて着席を誘導するテクニックに使うことがある。

目に入った文字をいちいち読み上げる
送迎中のクルマの車窓から見た看板を読み上げるという行動。 あるいは施設内で壁に貼られた掲示物を読み上げるとう行動。 大声で読み上げなければ問題なし。


注意・集中力低下
落ち着かず、ひとつの行為が続けられない
座り続けることすらできず急に立ち上がったり、食事が最後まで続けられない。

関心がなくなると診察室や検査室から出て行く(立ち去り)
面会に来た家族や親戚が居るにも関わらず、その場からスーっと立ち去っていく。


感情・情動の変化
初期から感情の変化が乏しくなる

理由なくニコニコする一方、不機嫌なときがある
いつもニコニコしていて、時々すっとんきょうに大きな笑い声をあげる。 あるいは、笑うような状況にないにも関わらず、急にクスクスと笑い出す。 そして不機嫌になったりもする。

他者と共に笑い、共に感動するといった情緒的交流が少なくなる
笑いを誘うような会話の場を作っても、どことなくよそよそしいしい印象である。 


病識の欠如
自分が病気であることの自覚がない、受診や通院が困難になる
病識はまるでない。 ATDの初期の頃では病識があり、「自分はおかしい」と発言する人もいる。


自発性の低下
家事をしなくなる
施設では家事はないが、レクレーションや体操の場にいても参加することなく、無関心である。 

常同行動以外は何もせず、ゴロゴロしている
ADL低下が著しく寝たきり(あるいは、寝かせきり)になると、覚醒時は常に指をしゃぶり続けることもある。

質問をしても真剣に答えない(考え不精)、あまり考えずに即答する言動(当意即答)
FTLD検査セットで、「猿も木から落ちるの意味は?」と尋ねたら、「分からん!」と即答する。 


以上、実際に観た約10数人のピック病の利用者の症例である。 
こういう症例は、「ピック病の症状と治療」を読むまでは、さっぱり理解できずにいた。 「前頭側頭型認知症(FTD)」は概ねピック病と捉えておけば良いのだが、上記のような症例を観て「ピックっぽいね」と鑑別できればスッキリする
意外なことに、「ピック病の症状と治療」を数回読み返したことで、逆にATDのことも分かってきた。
鹿児島認知症ブログに、前頭側頭型認知症を分かり易く解説されているのでご覧頂きたい。






3症例目のCBD

CBDとは、大脳皮質基底核変性症(corticobasal degeneration)のことである。 前頭側頭葉変性症(FTLD)の下位分類に属する、認知症の原因となる疾患のひとつである。
私はこのCBDの症例を現在までに2人の施設利用者から教えて頂いただろうと推測している。 1例は何処かの病院でCBDと診断された人(但し、治療には失敗している)。 もう1人は症状から推定しているだけなのであるが、まず間違いないだろうと思う。 後者は皮肉なことに、CBDと診断されておらず、従って投薬が不適切であるから、CBDの特徴を掴みやすいのである。

最近、後期高齢者(75歳以上)のKさんが入所した。 寝たきりである(「寝かせきり」と言う方が正確なのかもしれない)から介護に手がかからないのだが、初対面の時から何となく違和感を感じていた。 少なくともATDでも、DLBでもないのは明らかである。
近頃、この「何となく」という一種の勘が鋭くなってきたように思う。 これは、FTLDの理解が深まってきたからだと思っている。

私がKさんにトロみのついたお茶を飲ませている時、「美味しくないから、もう要らない」と消え入るような小声でゆっくりと言うのである。 また、お茶を飲ませながら、「私の母と同じ年齢ですね」と話しかけると、「あら、そう」と答えるのである。 言葉のキャッチボール(コミュニケーション)がちゃんとできている。
挨拶やいくつかの短い会話を重ねるうちにADTではないことは早くから解っていたのだが、何とも形容のしがたい雰囲気が気になっていた。 プレコックス感である。

ある日、ベッドから車椅子に移乗する際に、両腕を肩を中心にしてと、肘を中心にしてゆっくりと曲げてみた。 歯車現象はないが、鉛管様筋固宿があり、なおかつ上肢に著しい左右差があった。 また、上下注視麻痺の検査をやってみたが、これは正常であった。 また、食事は全介助であるが、嚥下動作は極めてゆっくりしており、まだ軽微ながら誤嚥のリスクがある。
私は、上述のようなことを総合して、KさんはCBDだろうと推定した。 

そこで、まったく当てにはしていない個人情報ファイルを見てみることにした。 そこに、「老年性認知症」と書かれていた。 笑った、そして怒った。 今でこそ、「老年性認知症」という名称は消えようとしているが、これはアルツハイマー型認知症(ATD)のことであろう。 FTLDの診断基準が整備されて日が浅いし、その認知度はまだ低いのだから仕方ないとは思う。

しかし、「施設受入時に、認知症に関しては前医の診断を鵜呑みにするな!」 なのである。 施設受入時に認知症診断のチェックをしないのは、システム上の欠陥である。 あまりにも酷い現在の認知症診療の実態があるからである。
だから、私は施設嘱託医に、「前医の診断と処方は再検討するように」と、文書で申し入れをしたのだが、実行されていないようである。

その欠陥が及ぼす悪影響は、結局のところ施設職員が介護負担というかたちで全て被ることになるのである。 更には、Kさんは施設入所したことで、ちゃんとした治療を受ける機会を逸しているのである。

改めて記しておきたい、
 第一選択肢は薬物療法
 第二選択肢は非薬物療法

この順番で治療ができて、初めて「非薬物療法」なのである。 もう少し具体的に述べると、ケアプランは実現可能な範囲で立案するようになっているが、その中に「○○の治療を維持する」などという文言は出て来ない。 「○○の治療はきちんとできている」という暗黙の了解があるような気がするが、それは誤りであることが多い。 ○○とは認知症である。
こういうことだから、ケアプランは介護だけの視点で立案され多職種連携がなっていない。 それは、砂上の楼閣であり、介護現場を自ら疲弊させること以外の何者でもない。

例えば、「午後は離床をすすめ、他の利用者との関わり合いを持つようにする」などというケアプランがあるとしても、実際には殆どできていないことがある。 
何故なら、離床して他の利用者と同じ場所に居ると、わぁわぁ大声で騒いで他の利用者の迷惑になり、不穏な雰囲気を増長させるから、寝かせきりにせざるを得ないのである。 認知症治療の結果は、利用者のQOLに直結するのである。

もし、Kさんが私の母であれば、少なくともFG療法(フェルガードとグルタチオンの併用)を試みるのは言うまでもない。 認知症治療は年々進化している。 だから、「情報武装」が必要なのである。


この人に聴く 中村仁一先生 -大往生したけりゃ医療とかかわるな-

こういう話しとは無縁で済めば良いのだが、切実な現実問題として直視しておいて損はないと思う。 マスメディアがいつも公正中立に事実を伝えているわけではないくらいのことは知っているが、表沙汰にならない現実ほど悲惨なものである。
既得権益とか歪められた既成事実が故に、正論が正論として受け入れられない世の中というのは不幸なものである。 


今週の一曲

 ペギー葉山の「学生時代」である。 カラオケで何気なく歌っていたが、昭和39年(1964年)に発表された楽曲なので半世紀前から歌い継がれた名曲である。 今回は結構生々しい内容になってしまったが、現実に目を背けて通り過ぎることはできない。 この歌と同じくらいの歳月を生きてきた者に今更学生時代のような「純粋」などという言葉は死語であろうが、純粋だった頃を思い出してみたい(笑)。