2014/07/12

認知症介護通信14/07/12

天秤について考える

今はどうか知らないが、昔は理科の授業で天秤を使う実習があった。 片側の皿に被測定物を乗せ、もう片側の皿に分銅を乗せて指針が中央に来るよう分銅の重量を調節するのである。
上皿天秤
極めて原始的な方法であるが、被測定物の重量を精密に量ることができる。

振動に弱いから、天秤を置いたテーブルを揺さぶるようなことをしてはいけない、吐息がかかってはいけないから、息を止めて慎重に分銅の重量(数)を調節していく。
今にして思えば、実に悠長な時代であった。







上皿天秤用の分銅
分銅はたぶん鋳造(鋳型に流し込む製造方法)でおよその質量の塊を作り、削り出しで精密な質量にするのであろう。
実際に製造工程を見たことはないが、分銅の形状を見れば見当は付く。







電子天秤
時代は電子化され、デジタル化された。 天秤もその例外ではなく電子化されデジタル式となった。 被測定物を皿に乗せてボタンをピッと押せば測定結果がすぐに出てくる。 1.66666mgと。 5mgの錠剤を正確に3等分するとこうなる。

ところで、この種の電子天秤にはRS-232C、あるいはGPIB(General Purpose Interface Bus)というインターフェイスが搭載されている。
GPIBは、パソコンと接続することで、以下のような利点がある。


1.パソコンで機器の制御プログラミングを記述・実行することにより、計測の自動化・省力化が実現できる。
2.計測データのグラフ表示やファイル保存など、パソコンの能力を活かした計測システムが実現できる。

1台のパソコンに複数の計測器を接続し、プログラムによって各機器が自動計測を行い、その計測したデータを パソコンで収集し、解析や表示処理、データ保存するという使われ方が一般的になっている。 その際、電子天秤とパソコン間でデータを正しくやり取りする手順が決められている。 これが「通信プロトコル」である。

認知症患者の家庭介護者、あるいは施設介護者と主治医の間で正確な情報を伝え合う(即ち通信プロトコル)方法がある。 それが、コウノメソッドである。 


平山先生のブログに、「コウノメソッド実践医間の連携」、「実践医間の情報共有のしやすさ」という見出しが付いた記事があった。 レビーなのか、ピックなのか、これらの複合であるLPCなのかは長谷川式では分からないが、レビースコアとピックスコアがあれば大方の周辺症状の想像がつく。 これがコウノメソッドの良さのひとつである。



天秤療法

中核薬の処方量は患者の体と対話しながら決めよ」という意味である。 認知症の治療薬は中核症状薬に限らず、古くから使われてきた薬もある。 今回は、認知症薬物療法マニュアル コウノメソッド 2014 KONO METHOD 2014 を基に話しを進めたい。 以下の文章(青色文字)は、左記のマニュアルからの転用である。 理解し易いように順番を並べ替え、説明を加えた。


本当にちゃんと治すためには、薬の種類、薬の用量を 0.2mg 単位で具体的に家族に話さない限り達成できない。 インターネットの普及した現在、素人の知識を見くびってはならない。

例えば、アリセプトには、3、5、10、15mgの錠剤がある。 これらのいずれかをポンと処方して、「毎朝、1回1錠飲みなさい」では済まされないのである。 高齢者は薬に過敏である。 期待する作用以上に副作用が出やすいのである。 だから、テーラーメイド処方が必要なのである。 グラマリールなど古くからある、患者を穏やかにする薬との併用も考慮されなければならない。
ただ、老々介護でインターネットを利用しない(デジタルデバイドの問題)患者家族もいるだろう。 そういう方々に対しては、ケアマネ(介護支援専門員)が代わって情報収集して、適切な治療が受けられるようにすることも重要である。


中核薬の処方量は患者の体と対話しながら決めよ。 認知症は中核症状だけの疾患ではない。 アルツハイマー型認知症に適応症をもつ4成分(アリセプト、リバスタッチパッチ、レミニール、メマリー)だけを処方することが治療ではない。 中核薬はいずれも興奮性を秘めていて介護をよけい困難にする可能性を持つ。

困難な状況・事態に陥っているケースには、私もしばしば遭遇する。 とりわけ酷いのがFTDにアリセプトを処方しているケースである。 介護拒否もさることながら、周囲に迷惑をかけるような大声、唸り声を出し続けるのだから困ったものだ。 ATDでは、過剰投与のためちっともじっとしていられず、見守りの目が離せない人もいる。


医師への助言 -医師は選別される時代にー 
自転車に乗れない人間は自転車に乗ってはならない。 認知症への処方術を知らない医師は気楽に処方してはならない。 アリセプトも他の薬も同じようなもの、誰が治療しても結果は同じと思っているなら、知識がなさすぎる。 認知症は治らないと言っている医師は、治す能力がない。 

認知症の適切な鑑別もできず(敢えて「診断」とは言わない。 それ以下のレベルである)、前頭側頭型認知症(FTD、ピック病)の患者にアリセプトを処方している。 それが、デイケアを運営している医師によるものであるから救いようがない。 もう1例がプライマリケア医である。 もっとしっかりと認知症とその治療方法を勉強して欲しいものである。 する気がなければ、「もの忘れ外来」の看板を外して欲しい。
私のかかりつけ医であり、信頼する内科の医師は言う。 「私は認知症を診ません」と。
理由をお訊きすると、「難しいから」とのことであった。 この方が潔くて清々しい。


「医患一体」の姿勢 
未開な分野である認知症に立ち向かうため、医師と患者家族は、同じ教材を学ぶ必要がある。 世の中でもっとも認知症を知らないのは医師である。

少しばかり言い過ぎかもしれない。 正確には、「あるひとりの認知症の人の症状・状態を知らないのは医者である」というところであろう。 但し、自分の親が認知症ではないかと心配になったり、認知症と診断されたなら、医師以上に患者家族は必死になって認知症を学ぶだけのポテンシャルは持っているのである。

その時に用いる教材がコウノメソッドであり、これを共通ベースに情報を伝達・共有しあえば良いのである。 因みに、私の親は認知症ではない。 けれど、もし認知症になったら自分で鑑別して、コウノメソッド実践医のところに連れて行く。
現在は、「この認知症の人を何とかしてあげたい」という一念で勉強しているだけのことである。


用法用量の設定は製薬会社の利益の為であり患者の安全の為ではない。 これを守ると患者は治せない。 中核薬を増やすほど改善するという統計グラフはすべて偽りである。 認知症の薬物反応は釣鐘状であり用量依存性ではない。 

用法用量の規定は製薬会社の売上げに貢献するだけであり、患者と家族には何の貢献もしていないのである。
「認知症の薬物反応は釣鐘状であり用量依存性ではない」というのは、薬の処方量(服用量)が多い程、効果があるのではなく、患者個々に最適処方量があり、その最適量を超えると副作用が増えるだけで何のメリットもないという意味である。 (左図参照)
この最適量を見つけ出すのが家庭天秤療法である。

用量に依存するのは製薬会社の売上げだけである。



認知症に関わりたいと思う医師は、コウノメソッドのみを信じればよい。 コウノメソッドは数万の患者が教えてきたバイブルである。 自分の方法にメソッドを加えるのではなく、完璧にメソッドどおりに処方すること。 

初めにマニュアルを読んだとき、これは些か傲慢な表現かとも思った。 しかし、よくよく考えてみるとすぐに理解できる。 自転車に乗れない初心者が初めにすることは何か? 自転車の乗り方を教わって、空き地かどこか安全な所で補助車付きの自転車で練習するだろう。
習字ではどうか。 お手本に倣って練習するのが先であろう。 我流でやるか? 天賦の才能に余程恵まれているのであれば、それは才能が開花し才能が認められる日が来るかも知れない。

こういうことをあれこれと考えてみると、「自分の方法にメソッドを加えるのではなく、完璧にメソッドどおりに処方すること」で良いという結論に達するのである。 このことは、別に自分のプライドに反することでもなく、何かしら納得の行かない力に屈することでもない。 「匠の技」を真似てみるだけのことである。
「お手本はこうですよ」と示されているのであるから、先ずはそのお手本通りにやってみることである。 ただそれだけのシンプルなことなのである。 これが分からないということが私には解らないのである。


壊れた天秤
スイッチが入ったかのように突然に暴言暴力が始まるピック病典型症例のKさんである。 Kさんの治療は施設入所以来、ことごとく失敗してきたようだ。 業を煮やした私は、ウィンタミンの処方を数ヶ月間にわたって施設嘱託医と交渉してきた。 
紆余曲折を経てやっと聞き入れられ、当初は著効を示したかに思えたのだが、次第にまた以前のように暴言暴力が始まった。 それはある意味当然で、天秤療法で処方量の最適化が行われていないからだ。 コウノメソッドで推奨する薬に問題があるのではなく、処方量がまずいのである。
そこで私は、「最大75mgまでは増やしても大丈夫だから看護師に調整させてもらって欲しい」と、服用量の調整を嘱託医に伝えた。 「施設天秤療法」である。

それから暫く様子を観ているのだが、一向に暴言暴力は治まらない。 まず間違いなく、何も処置していないのであろう。 コウノメソッドという「通信プロトコル = 治療プロトコル」を持たない者達と、どんなに会話(通信)しようとしても無駄であることがよく分かった。


幻覚を退治する

レビー小体型認知症(DLB)に幻覚、特に幻視はよく現れる症状のひとつである。 TさんはDLBなのだが、LPC化も進んできている。 昼食後、Tさんの臥床介助をした時のことである。 目つきが険しかったから、「何かあるよね」、と感じ取っていたのだが、やはり来た。
Kさんが、「あ~!」と、叫ぶのである。
「どうしましたか?」と、私が尋ねると、
「胸元に蛇がいる!」と、怖がっているのだ。 こういう時には、否定せず現実として対処すれば良い。
「あ! いた、いた。」と、私は1匹の蛇をつまみ出した。
すると、Tさんは、
「まだいる。 背中!」と、更に蛇がいることを訴える。 私は、Tさんを側臥位にして、更に蛇を2匹つまみ出した。
「もういませんよ。 Tさん、大丈夫ですよ。」と、私は声を掛けた。
すると、安心したTさんは仮眠に入った。


この人に聴く 天野篤先生

最近は本を読んで学ぶより、インターネットで様々な分野の先達から聴いて学ぶのが簡便でいいことに気付いた。 昔は、足繁く書店に通ったものだが、最近は足が遠のいた。
けれど、私には「耳学」というのはどうも合わないかもしれない。 ちっとも身に付かない。 やはり、文字情報や映像情報を繰り返し見るのが合っているのかも知れない。




言葉の魔法

認知症の人だからといっても、相手は年長者様である。 時には自分の倍とか3倍の年月を生き抜いて来られた方々なのだから、必ず一様に敬語を使うように気を付けている。 これだけは職場の同僚にも当てはまり、年長者であろうと、年下であろうと例外を持たない。 どんな状況下であろうと、敬語で話す。

心理療法におけることばの使い方
私は、「最近の若者は敬語の遣い方も知らない」などと言う程の者ではないが、そういうことも言いたくなる状況に多々遭遇するのは残念でならない。
「○○さん」と苗字で利用者を呼ぶのが常識であるが、「□□さん」と名前(ファーストネーム)で利用者を呼ぶ輩(やから)が多い。 この傾向は何処の施設でも見受けられる。 病院で順番待ちの患者を呼び出す際に、医師も「○○様、診察室にお入りください。」と言う時代である。
私は、「お客様は神様です」などとは思っていないが、サービス業であるから、きちんと敬語を遣いたいものだ。

ところで、単に敬語を遣うこと以上に、話しの内容が重要である。 
ある時、利用者から、「こんなこともできなくて、ご迷惑をお掛けします」と言われたことがある。 私が、「いえいえ、これだけできれば十分ですよ」と言ったら、その利用者は「そんなに褒められたの、初めてです」と嬉しそうに言うのである。 
この時、年長者に対してでも、褒めることの大切さを教えられた。 もしかしたら、すぐに褒められたエピソードは忘れ去られ、その場限りの言葉掛けになるかも知れないが、それでも必要だと思う。

「これができるから、いいですね」とか、「ここまでできるようになると、いいですね」という言葉掛けはやはり必要だと思う。 だから、1冊くらいは言葉掛けの本を読んでおきたい。 
「心理療法におけることばの使い方」(誠信書房)は2001年に発刊された古い本で、若干専門的になるが役に立った。 

介護の禁句・介護の名句
ここまで専門的になる必要があるのかどうかは分からないが、実用レベルとして、「これだけは知っておきたい介護の禁句・介護の名句」を紹介しておきたい。
この本がベストなのかどうかは知らないが、こういう本の1冊でも読んでおきたい。 何故なら、「言葉遣い」という素養は簡単に養えるものではなく、突き詰めれば個々の生育歴、躾・教育歴にまで及ぶからである。 

排泄介助、食事介助といった技能は教えられることはあっても、言葉遣いは自分で意識して実践しなければ、いつまでたっても何年介護現場に居ようとも身に付かないものである。

私は、「認知症の第一選択肢は非薬物療法」などと思っていないし、認知症を文学的に語る気はサラサラない。 しかし、人 対 人 という対人関係で捉えた場合、言語コミュニケーション・非言語コミュニケーションの重要性は必要不可欠でり、決して軽んじることのできないことであると思っている。

私の名句(?)を紹介しておきたい。
「もう死にたい・・・」と言う高齢者に対して。 
「あのね、○○さん。 今日という日はね、まだ生きていたかったあなたのご主人様の未来を生きておられるんですよ。」
「○○さん、そんなに急ぎなさんな。 お父様やお母様は、必ずお迎えに来て下さいますからね。 その時に、恥ずかしくないような生き方をしておきましょうね。」
これで妙に納得されるのである。 ここでポイントがひとつ。 必ず、「○○さん」と言って相手(自己)の存在を確認・認識するかのように名前を会話の中に入れることである。


今週の一曲

坂本九の「上を向いて歩こう」である。 この楽曲は1961年(昭和36年)に発表され、日本国外でも大ヒットした。 中でも1963年には、SUKIYAKIというタイトルでアメリカでもっとも権威のあるヒットチャート誌『ビルボード』の "Billboard Hot 100" で、3週連続1位を獲得したという。 
後期高齢者の方々が、かつて若き日に子育てに奔走する中、この歌声を聴いたことであろう。