2014/07/05

認知症介護通信14/07/05

認知症を理解する

ひと言に「認知症を理解する」といっても、様々な職域の人々の立場でそれぞれに意味合いが異なってくるのは言うまでもない。 「介護現場を重視する」との公言通り、河野先生はちゃんとそれを示している。 
そのひとつが下図に示されていると思う。 血管性認知症を除く神経変性性の認知症は、純粋に単一の認知症であることよりも、症状は進行して複合(合併)することもある。  実際のところは、認知症の人の死後脳を解剖して病理検査してみなければ何がでてくるか分からないのである。 それでは現実的・実用的ではない。 やはり、症状を診て、それに最適な方法で対応する(対症療法)のが現実的であると思う。

今回は、下図を基に介護現場から解説してみたい。



「変容の種類には3つあって、アルツハイマーのレビー化SDのピック化レビーのLPC化です。こんなことを言っている研究者は私だけです。 しかしコウノメソッドを日常診療に役立てている医師ならこの考えに100%同意するでしょう。」

私は医師ではないが、この認知症スペクトラムが描けること、そして治療できることが、コウノメソッドの優れた特長のひとつであると思う。 すぐには理解し難いことかも知れないが、ある意味、上図のことが真に理解できれば認知症を取り巻く介護現場の厳しい現状も分かり、それをどう解決したら良いのかも分かるようになると言っても過言ではないと思う。 別の言い方をすれば、「予防最前線」は別として、「治療最前線」はここにあるような気がする。

ATD(Alzheimer Type Dementia)アルツハイマー型認知症のことである。
初期の頃には、「その場取り繕い」で惚けたことを言って周囲を笑わせていたり、目的もなくあちこち彷徨いていても、次第に症状が進行するに連れて活動が低下し、意識/覚醒レベルは低下して自力でご飯を食べられなくなる。 そして寝たきり(あるいは、「寝かせきり」)となる。
自力でご飯が食べられなくなれば、誤嚥に気を付けながら介助するしかない。 こうして介護負担が増えるのである。 1日中、ぼんやりしているか眠っている。 「年だから仕方ない」とか、「認知症が進行したのだから仕方ない」ではない。 まだできることがあるのだ。

だから、介護現場では、アルツハイマーがレビー化してきたことに気付いたら、主治医/嘱託医に上申して処方薬を調整してもらう必要がある(但し、ちゃんと治療できる医師にである)。 つまり、図にあるようにドネペジルを中止しなければならないのである。 これができなければ、無為な介護負担が待っている。

日常のことで分かり易く単純化して例えてみよう。 上述のことが原因で自力での食事摂取ができない施設入所者が4人居るとする。 1人当たり15~20分の介助時間がかかるとすれば、1人の職員が約1時間を費やすことになる。 実際には、個室でなければ、誤嚥に注意しつつ周囲に居る他の入所者の様子を見守っているのだが。 ただでさえ人手が足りない介護現場で、こういう事態は避けたいものである。 施設利用者の視点で言えば、余計に手の掛かる人たちのために、他の利用者が介護を受ける機会を不当に逸しているのである。

尚、アリセプトは製品名/商品名である。 現在は特許が切れた関係から、ジェネリックとして「ドネペジル」という名称で販売されている。 この薬品名は是非覚えておきたい。


SD(Semantic Dementia)、意味性認知症のことで、前頭側頭型認知症のひとつである。
大雑把に言って、介護者の言っていることが解らないタイプの認知症と理解すればいよい(聴力障害を除く)。 例えば、「トイレに行きませんか?」と促しても、理由なくまったく聞き入れないような人である(感覚失語)。 こちらの言っていることが理解できていないような印象である。 
もうひとつは、1日中無言で過ごし、何を話しかけてもウンともスンとも言わない人である(運動失語)。 実は、ウンとかスンくらいは言うのだが、コミュニケーション不能であるから、何を考えているのかさえさっぱり分からない。 これらの両方の症状があれば、全失語である。 このタイプの人の厄介なことは、自分の意思を言葉で言えないことである。 だから、お腹が痛いとか、頭が痛いということすらできないのだから、身体に異変があっても傍から見るとどこがどう悪いのかが分からないことである。

一般的にはおとなしいタイプが多い印象であるが、おとなしいからと言って見守りの対象にならないかというとそういう訳には行かない時がやって来る。 
SDのピック化である。 テーブルの隣人の茶碗やお膳を盗ったり(盗食)、目に付く物を何でも触ったりするようになる(使用行動)。 更に厄介なのが異食である。  これが始まると、四六時中見守りが必要になるのは言うまでもない。 
他に、自分の手指を舐めたり、同じ皿のおかずだけを食べ続ける、車椅子でトイレに連れて行き便器の前だというのに足を組んだままといった行動も現れることがある。


DLB(Dementia with Lewy bodies)、レビー小体型認知症
レビー小体が主に後頭葉に蓄積され、血流が低下するのがDLB。 初期の頃は脳の萎縮は少なくて目立たない。 因みにレビー小体が脳幹に蓄積されるとパーキンソン病となる。 だから、DLBとパーキンソン病の人の精神症状だけを観ると似通っている。
「レビー小体病のため、遂行機能と社会適応能力が低下した状態をレビー小体型認知症という」と理解してもよい。 

話しは些か脱線するが、「認知症」は、上述のように症状・状態を表す名称である。 症状であるから、原因となる病気・疾患がある。 それが、レビー小体病であったり、アルツハイマー病であったりする。 つまり例えて言うと、「発熱が続く」という症状があれば、肺炎という病気が原因かもしれない。 そういう関係である。 
「認知症への関心と理解は深まってきている」などとマスコミで言われてはいるが、現実は「まだまだ」と言わざるを得ない。 ある時、「アルツハイマー病と、認知症は違うんですかぁ~?」と尋ねられたことがあったので、一般的に書かれている説明と違う方法で上に記してみた。

介護現場に話しを移す。 DLBの人を1日とか1週間単位で観ていると、ボーとして眠っているのか覚醒しているのかはっきりしないかと思えば、爽快な顔つきであったりする。 
おやつの甘酒やワインゼリーで気分が悪くなり寝込んだりする(薬剤過敏性のため少量のアルコールでこうなる)。 挙げ句の果てには、急にぐったりして気を失い、心配させたりする(意識消失)。
また、「テーブルの下に人が倒れている」とか、「火の手が上がっている」と、幻視を見て心配している。 こういう人がレビー小体型認知症の人である。 この程度であれば、比較的手がかからず割とおとなしい印象がある。 
レビー小体型認知症については、検索して調べればいくらでも情報が得られるので、このくらいにしておきたい。 なお、鹿児島認知症ブログにも掲載があるので、ご覧頂きたい。


ピック病は昔の名称である。 現在は前頭側頭型認知症(FTD)と呼ばれている。
前頭側頭型認知症は実に多彩な症状を呈するのだが、定義自体が分かりにくい。 実際の例を挙げた方がピンとくる人も多いだろう。

こちらの言うことを全くと言っていいくらい聞き入れてくれない(我が道を行く)。 周囲の迷惑など全く配慮していない。 だから、しゃべることができる人なら、10分おきに「おしっこ、おしっこ」とトイレに行きたがる。 「さっき行ったでしょう」と言うと納得したり、逆上したり、屁理屈を並べ立てる。
特別に用事がある訳ではないのに、「ちょっと、ちょっと」と誰それ構わず呼び止める(常同行動)人もいる。 床に唾を吐く人もいる。

ボタンを引きちぎって食べる、ファスナーを引きちぎって食べる、膝掛けの飾りの布を引きちぎって食べるなどの異食がある。 介護拒否が酷いケースでは、口腔ケアを嫌がり暴れる、歯ブラシを噛みちぎる、入浴を拒否して大暴れする、理由無く急に怒りだして暴力をふる、などがある。

コウノメソッドを理解して、様子観察を半日くらいやっていればピックを見抜けるようになる。 
さて、一目見て、「ピック病だ」と分かれば良いのだが、ひとつある。 それは、「びっくり眼(まなこ)」である。 コミック(漫画)で驚いた時に、「あっ!」という表情を表現するような目つきをしているのだ。 ピック病の決定的な「証拠」とはならないが、実は意外と多い印象である。

厄介なのは、このピック病を知らない医師はATDと誤診してアリセプトを処方する。 すると、もう無茶苦茶である。 周辺症状は一層酷くなるから、介護者はたまったものではない。 

上述のようなFTD(ピック病)の症状を特徴とする認知症であるにも関わらず、「トイレに行きたくて不穏になった」、「失禁したから不穏になった」、「お腹がすいたから不穏になった」、「眠くなったから不穏になった」などというようにしか介護現場で理解されていない傾向があるのは残念でならない。
こういう施設には介護負担の増大こそあれ、軽減される日は未来永劫来ない。 


LPC(Lewy-Pick Complex)
先に説明したDLBにピック病の症状が合併した症状である。 日頃はおとなしく、ボーっとしていたDLBの人が、次第に怒りっぽくなり、お膳をひっくり返したり、ご飯を手掴みで食べたりするようになる。 あるいは大きな声で奇声を発したり、介護抵抗や暴力をふるうようになる。
こういう症状がある日突然一気に出る訳ではない。 徐々に徐々に出てくるから、数ヶ月~半年といった時間軸で経過を観ないといけない。

夜中に寝言を言っていたり、幻視を見ている人に声をかけたら、急に怒り出し暴力をふるわれ介護抵抗されたことがある。 これだけならば、レム睡眠行動障害ともとれるが、翌朝の朝食の食事介助で拒否(抵抗)され手に負えないようであれば、LPCと判断してよい。
実際、1年前には手のかからないDLBの人が上述のLPCへと変っていった症例を私も見ている(他にも数例ある)。


詳しいことは、「ピック病の症状と治療」(フジメディカル出版)をご覧頂きたい。
また、このピック病については、このブログで別の機会に書きたいと思う。
ATD、DLB、FTD、VaDに、LPCの理解が加わることで、非常にすっきりしてくる。 実は、この本の内容を理解するのに3回以上読み直した。 併せて、介護現場でピック病の人を半年以上観続けた。 

そして、やっと解った。 「結構居るもんだ」、「ATDと誤診されているもんだ」、と。







4大認知症のひとつ、血管性認知症(VaD;Vascular Dementia)が、上の図に何故出てこないのか? VaDは脳血管に障害(脳梗塞、脳出血)が生じた後に生じることのある認知症である。 階段状に症状が悪化(進行)するとされているが、これはある意味誤った認識で、VaDの本態ではないとされる。 血管障害の再発を適切に防いでいれば、VaDは進行せず変わらない症状のままである。 
ゆっくりと症状が変わってきたら、上に挙げた別の認知症が加わったとみる。 従って、神経変性性の認知症しか、図中にないのである。 

上記に挙げた各タイプの認知症には下表に示すような代表的な治療薬がコウノメソッドでは示されている。 医療関係者ではないという理由で、薬のことに無頓着ではいられない。 それが認知症の介護である。



認知症に対する関心は深まって来てはいるが、果たして認知症とその治療方法に関する理解は社会に広く浸透しているだろうか? 知らない、あるいは理解不足が故に生じる介護上の心痛・負担を認知症の本人のみならず家庭介護者、施設介護者が不当に抱え込んではいるまいか? 更に突き詰めれば、このよう無知が認知症医療の進展を阻害してはいるまいか?


新刊案内
遂に出ました。 認知症医療の杜撰さを克明に記録した渾身の一冊。
抗認知症は出し放題、症状が悪化すれば更に薬を追加。 挙げ句には、「認知症は治りませんよ!」と患者家族を冷たく突き放す医師。 不必要なCT、MRI画像診断で高額の診療報酬を得る医師。 病院で治療できなければ老健で、老健で手に負えない患者は特養へ。 特養は認知症患者の最終処分場。 「認知症を治さない」ビジネスは、患者がとぎれることなく、経営安定化のビジネスモデルとして定着。
「死亡診断書」の死因に、「認知症」という文字はない。 老い先短い高齢者は、専門診療科目のついでに診ておけばよい、小銭稼ぎに「もの忘れ外来」のステッカーを貼っておく。
こういう悪徳医師の実態に迫る、「認知症外来も 今日もやりたい放題」。 付録に認知症を治せない医療機関のブラックリスト付き。 近日、緊急出版。 
この本は虚構である(実在しません)。 あくまでもフィクションであり、妄想・作話である。・・・と、希望的観測で終わらせたいが、「現実です」と言わざるを得ない現在進行形である。


この人に聴く 柳田邦男氏 

「柳田邦男氏の死生観の変遷 2/3」を聴いて色々考えた。
航空機事故、ガン、ホスピスケアと話しが続き、脳死へと話しが続く。 とても重いテーマである。 正直言って、当事者になってみないと解らないと思う。 脳死は家族(享年15歳)を第二人称で経験しているが、認知症の場合はどうか? 私は第三人称でしばしば経験する。 今週も1例経験した。 これも仕事だから仕方ない。 ホスピスケアについては各自で考えて欲しい。


河野先生のブログより 介護通信 2014年6月30日

私の父の主治医だった医師は、「医学でどうにかなる範囲を超えた老人の最後は文学的であるが、最期は医学的である」と語ったのだが、私は現在の認知症医療レベルで認知症の人の最後を文学的に語る気にはとてもなれない。 まだまだ医学的に語る、即ち「やれること・やらなければならない余地」が多く存在すると思っている。

「認知症看護入門」(ライフサポート社)の終わりの方に、ターミナルケア、グリーフワークというタイトルで記述されている。 2011年に1度読んでいるが、また読み直してみたいと思う。 (このブログでテーマにするつもりはない。)

内容紹介 看護師が今日から役立つ観察と技術を知り、より深く認知症の考え方をも学べる一冊! 今日、わが国では認知症に関するおびただしい数の本が出回っています。 その多くは介護に関するものであり、介護家族が経験をまとめたもの、介護専門職が書いたものなどです。他方、医師による医学的な専門書も少なくありません。 こうしたなかで、認知症の人と家族を支えるのに欠かせない看護師を対象とした本が意外に少ないとの印象をもっています。  看護師は医療の多分野にわたる専門職であり、認知症の人の看護は多くの看護の現場で経験するもの、また介護施設で働く看護師にはありふれたものです。 堀内園子氏の『認知症看護入門』は、こうした認知症看護への求めに応じるかのように書かれたものだと思います。  本書の第1部では、認知症に関する基礎的な知識や技術が簡潔にまとめられ、第2部では、認知症看護の実践のあり方が具体的かつ系統的に書かれています。こうしたことは、長年、認知症看護の現場にいた堀内氏でなければ書けないものと確信します。  本書は、看護師が今日から役立つ観察と技術を知り、またより深く認知症の考え方をも学べる本です。


今日の一曲

藤山一郎と言えば、「青い山脈」、「長崎の鐘」か「東京ラプソディー」である。 しかし、「長崎の鐘」は皆で歌うには少し暗い。 かと言って、「東京ラプソディー」は少しばかりテンポが速い。 テンポが速いと高齢者は演奏に合わせて歌うことができないのだ。 そこで、週の一曲は、夢淡き東京」である。